こんにちは。
小林です。
4/29日は昭和の日ということで
昭和を代表する物のひとつである
27日で引退した最後の国鉄特急色であった189系M51編成と共に
歴代の国鉄特急色列車およびその写真を取り上げます。
但し以前に当ブログに乗せた写真は割愛します。
目次
営業についていた頃の姿
189系・183系(主に中央本線)
元は「あずさ」「かいじ」で活躍していた車両でE257系に置き換えられてからは臨時列車などの波動用として活躍していましたが2015年に183系は全廃されました。
田町車両センター所属H102編成(当時)以下10両 甲府付近 2012.9.15
前面に「T」の形をしたシンボルマーク無しなのに最初は違和感ありました。
その後この編成は2013年夏に長野総合車両センター(以下NN)に回送され、
中間車4両を抜いた6両で豊田車両センターに転属しM52編成となりました。
大宮総合車両センター所属OM101編成(当時) 猿橋-鳥沢 2012.9.16
新宿方にだけシンボルマークがついた編成でしたが2014年1月に退役しました。
田町車両センター所属H81編成(当時)以下8両 竜王-塩崎 2013.6.22
2013年夏にNNに回送された際先頭車と別の編成の中間車4両で組成したうえ豊田車両センターに転属しM51編成となりました。
489系
夜行急行能登 富山にて 2006.4.28
JR西日本金沢総合車両所に在籍した日本最後のボンネット車で、急行能登は2010年3月改正をもって定期運転終了ののちこの車両も2012年に退役しました。
筆者はこの列車に2回乗っており理由は立山黒部アルペンルートに行くためでした。
485系
上野にて 臨時急行能登 2010.4.29
2010.3改正で定期運転終了直後にJR東日本新潟車両センター485系(平面顔)で運転された臨時能登号
しかし2012年2月24日を最後に運転されなくなり実質廃止されました。
583系
色違いですが国鉄特急色の仲間なので取り上げました。
尾久車両センター鉄道ふれあいフェアー2016にて
「ゴッパーサン」の愛称で親しまれ初の昼夜兼用列車で昼は座席車・夜は寝台車と2通り使用できるいわゆる「ハイブリッド電車」で
車両基地不足の解消と昼夜ともに高効率の運用に貢献しましたがその後需要が激減し編成を持て余すようになり余剰車はローカル線の電車の確保のために419系や715系の近郊型電車(いずれも消滅)に改造され、
晩年は波動用列車として活躍し2017年4月に秋田車両センターに在籍していた編成を最後に退役しました。
博物館などの保存車両
おおみや鉄道博物館
485系 2017.10.18撮影
ボンネット車としては派生型の489系を最後に遅くまで残ったグループでした。
181系 2017.10.18撮影
181系は前身は1958年に登場した151系で、「こだま型」とも呼ばれ、国鉄特急型電車の元祖でした。
しかし東海道・山陽新幹線開業により追われ転属を繰り返し、山間部を超えるための出力アップ改造を施したうえ181系になり
中央本線「あずさ」・上越線「とき」として活躍していましたが老朽化と1982年に上越新幹線の開業により一部は他形式に改造された以外は退役しました。
京都鉄道博物館
日本で初めてのディーゼル特急用車両で1960年に東北本線(常磐線経由)の「はつかり」でデビューしましたが
当初は不具合やトラブルが頻発して「はつかり、がっかり、事故ばっかり」と韻を踏むようにレッテルが張られました。
1968年に東北本線が電化されると583系電車が登場し最終的に紀勢本線の特急列車「くろしお」に転用され
1978年まで活躍しその後全車退役しました。
おわりに
ボンネットから始まり昭和の象徴だった国鉄特急色
数年前まではゴロゴロ走っていましたが2013-14年にかけて他区の編成の置き換えが進み
豊田車両センターに残った最後の1本が退役しその歴史にピリオドが打たれました。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
小林