こんにちは。
小林です。
今回は筆者が所有する
103系の写真と共にその思い出を
お話しします。
尚、今回は1996年から2002年までの出来事をお伝えし
続きは別途お送りします。
目次
はじめに
筆者は青梅線の利用者でもあり
幼い時から103系電車を見て育ちました。
青梅・五日市線(2002年まで)
1996.2 牛浜-拝島
時より編成替えが行われ、検査入場までの間
塗装の色あせのバラつきも見た目は悪いですが時にはそれも乙なものです。
2001.7 熊川-拝島
高運転台・非ATC車クハ103-803以下6連
青梅・五日市線103系の末期に立川方に1両だけ組み込まれた編成で
運転室後部に戸袋窓がありJRマークの位置が低く異彩を放ちました。
詳しくは上記の写真をご参照ください。
2001.7 拝島駅構内の留置線にたたずむ離脱した103系
この年から青梅線103系の置き換えがジワジワ始まって
離脱した編成が拝島駅構内の片隅に疎開しました。(その後は廃車)
最初はその現実をなかなか受け入れられませんでした。
2002.4 さよなら青梅線103系
この日を以て青梅線から103系の運用が終了し
103系ロスになりしばらく心にポッカリ穴が開きました。
武蔵野線(2005年まで)
1997.6頃 府中本町
こちらも高運転台・非ATC車で
武蔵野線では最終的に6両在籍しました。
2000.10 大宮工場(現・大宮総合車両センター)
大宮工場構内にオレンジ色103系が3本並ぶという奇跡の瞬間が見れました。
八高線・川越線
1999.1頃 拝島-小宮
103系の異端児3000番台
旧型国電72系電車に103系デザインの車体を載せ替え仙石線で運用していましたが
その後1985年川越線電化に伴い川越線に転属し、
その際に103系用のストック部品を付け替える大改造によって103系の仲間入りを果たした異色の経歴を持つ車両でした。
おわりに
首都圏の103系は一昔前の2006年春に引退し久しいですが
関西圏では数が激減するものの現役で運用しているのが奇跡です。
しかしながら
大阪環状線では昨年10月3日に引退し、
阪和線では今春にも撤退する見込みです。
最後までお読みいただき
ありがとうございます。
小林